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■ プロコフィエフと太田黒元雄

プロコフィエフゆかりの地・東京大森周辺の文学情報を集めたサイト「馬込文学マラソン」にて、
「プロコフィエフ地図」が紹介されています。今昔の地図の照合、今はなき望翠楼ホテル跡地の現況写真もあり、90余年前のプロコフィエフの足跡がたどれます。ぜひご覧ください!

1918年(大正7年)、7月22日夜〜日本滞在最後の8月2日朝まで、プロコフィエフは東京・大森の望翠楼ホテルに滞在。同じく大森に住んでいた音楽評論家、大田黒元雄と互いに行き来し、親交を深め合いました。プロコフィエフ、大田黒、双方の日記によると……。

7月2日 溜池の花月にて帝劇主催のプロコフィエフ紹介の宴開催。
      プロコフィエフと大田黒、初めて出会う。
   5日 「午後帝劇にプロコフィエフを聴く」(大田黒)
   6日 「今日も(帝劇で)プロコフィエフを聴く。ほんとうに仕合わせな事だ」(同)
  22日 夜、プロコフィエフ、横浜から大森・望翠楼ホテルに移る。
  23日 午前10時過ぎ、プロコフィエフ、大田黒邸を訪問。
  24日 午後3時頃、プロコフィエフ、大田黒邸を再訪。
  25日 大田黒、望翠楼を訪ね、プロコフィエフに原稿依頼。
  26日 プロコフィエフ、ミャスコフスキーについての原稿を大田黒に手渡す。
  30日 大田黒、望翠楼へ。プロコフィエフと長時間話し込む。
8月1日 午後5時、プロコフィエフ、大田黒に別れを告げにくる。
   2日 大田黒、横浜でプロコフィエフの出航を見送る。

……と、短期間ながらも親密なやりとりが交わされたことがわかります。
そして二人の友情はその後も続くのでした。